ブログ旗旗 » 王者の病と詩人の魂(てんかんとうつ病) - 旗旗
長い間忘れていましたが、私は幼児期よりてんかん症でした。てんかんは薬(抗てんかん薬)で抑えることが可能です。「それさえつけていれば日常生活に支障はない」という点において、てんかん患者の薬は視力が低い人のメガネのようなものです。メガネをかけているという理由で差別されたり日常生活から排除されたりすることはありません。それと同じことで、あまりてんかんの人を特別視する必要はないのです。歳をとるにつれて発作は出なくなるのがむしろ普通みたいですので、薬を飲み続けて10年くらい発作が出ない状態が続いた場合、「完治した」と判断されるようです。私は現在、この状態です。
どうも私は生まれてくるのが嫌だったらしく、出生の時は大変な難産で、最後は頭を金具で挟んで無理やりこ� ��世に引っ張りだされてしまいました。こういうケースでは、てんかんになることもあるらしいです。でもね、てんかんなんて、楽なもんなんですよ。時々、ほんの0.5秒ほど、電気が消えたみたいに目の前が真っ暗になるだけのこと。次の瞬間にはどこかで寝かされていて、確かに一瞬のはずなのに、まるでタイムマシンにのったみたいに時間が15分とか30分とか経過している。それだけのことです。
あと、子供の頃は発作がおきたわけでもないのに、短時間(数秒から数十秒)意識が飛んで、その間の記憶がないなんてことがありました(小発作とか言う)。まあ、棒が倒れるみたいに完全に無防備で倒れている(らしい)もんだから、あちこちすりむいたり血が出てたりはしてますが、大変なのは本人よりむしろ周囲の人な� ��けでしょ?小発作の場合は倒れもしなくて、周囲の人も(本人すら)気がついてないこともあるわけです。大発作で倒れた直後は結構すごい状態(らしい)なので、目がさめるとみんな真っ青で、やたら優しかったりします。本人は「あはは、またやっちゃったあ?」てなもんですが。
物心ついたころから薬を飲んでいましたが、親がついて注意していないと飲んでいないこともあったせいか、発作は出る時はでました。それでも飲み続けた甲斐あって、青年期より徐々に発作もおさまりはじめました。ちょっとした「立ちくらみ」程度のものはよくありましたが、そんなに深刻なものではありません。そして最初に書いたように、10年以上発作がなかったので、もうよかろうという判断で薬もやめていました。ところがあーた� ��左翼活動をはじめた途端にまた、もののみごとに発作が再発するようになって、再び薬を飲みはじめました。そして、これまた、もののみごとに、左翼活動をやめた途端にぴたっと発作が出なくなりました。今は薬も飲んでいませんが、ぜんぜん大丈夫です。
当時は集会場とか闘争現場でよく倒れました。せっかく「さあ!デモにでるぞおおお!」と意気込んでいたのに、次の瞬間、「あれっ?」とか思ったら宣伝カーの中で寝ているとか(笑)。発作からさめた時点では、全然体調に異変もなく、発作前と同じようにピンピンしていることが多かったです。ただ一瞬のうちに時間だけが経過しているという感覚。本当にタイムマシンに乗ったみたいで、わかっていても混乱しちゃうんですよねー。どうも皆、倒れている間の記憶がまったくないという感覚の不愉快さが理解できないらしく、あんまり経過説明とかしてくれないので、意識の中で記憶の空白を埋められない。ああいう時は、倒れていた間のことと、現在の状況をかいつまんで説明し� ��ほしかったです。
倒れるのはなぜかいつも闘争現場でした。せっかく遠くから、大金かけて参加したりしているのに、ほんと〜に!残念でした。まあ、私の発作に対処してくれた人はもっと残念でしたでしょうから、文句や愚痴をいうこともできません。お礼やお詫びが先で、それ以上は怖くて聞けませんでした。それに反して職場では倒れたことがない。毎日の工場労働で絵に描いたような「疎外された労働」に従事していた時だって、「ああ、もう倒れたい」とか思う(笑)のですが、こちらでは病気一つしないという。発作がコントロールできたら便利なのになあとよく思いましたよ。たとえば機動隊に殴られた瞬間に大発作をおこし、口から泡ふいてぶっ倒れながら、殴った機動隊の眼前で白目むいて激しく痙攣してやるとか(笑� ��。とにかくてんかんは見た目が凄くて、慣れてない人が見たら大騒ぎになります。絶対にびびったろうになあ。うーん。残念。
ま、あれはあれで、なかなか得がたい経験なんでよかったかなと。。。なんて言うと、当時の人の中には「あんだけ迷惑かけて!」とか思う人もいるでしょうが、いいんですよ。病気の時はお互い様ではないですか(開き直り)。私も周囲の誰かが病気だったら、面倒がらずにできることはしようと思っています。だって、人生の中で誰かにかけた迷惑も、様々な事情からその人には返しきれなかったことだってあるでしょ。でも、その時は自分を責めるより前に、他の誰かに(見返りを求めず)それを返していけばそれでいいと思うんです。そうして世界中の人の「人生の収支決算」があうならば、それ� �それで住みよい世の中なんじゃないかと。
なぜこんなことを思い出したかといえば、うつ病で闘病しておられたアッテンボローさんと主義者Yさんが職場に復帰されるからです。きっと、うつ病はてんかんの何倍も辛い病気のはずです。症状が出ている時の意識があって、しかも周囲からはそれが見ていてもわからない(これが一番辛いでしょう)、本人の自己申告で判断するしかないという点において、いわばてんかんとは正反対です。本人がどんなに辛くて死ぬほど苦しんでいても、心無い人からは「怠けている」みたいに言われることもあるそうです。
てんかんは脳神経外科の病気ですから、精神科のうつ病と一緒にはできませんが、私の場合は左翼活動から離れたとたんに発作が出なくなりました。お二人のうち、アッテンボローさんは活動家期間中に症状が発生したそうですから、組織から離れたことで症状が改善に向かってもよさそうなものです。でも、やはり何と言うのかなあ、組織や運動から脱落した自分を責め続けたりするんですよね。その辛さは経験のない人には、どんなに言っても容易に理解はしてもらえない。けれども、経験した人ならみんなわかると思う。
だから詳しくは書きませんが、私の場合はそこから立ち直るのに、10年以上の歳月を必要としました。ましてやアッテンボローさんは自分から離脱したので� ��なく、病気のせいで生活が荒れたことを理由に、まさにその最も苦しい時期に組織から切り捨てられたわけですから、その苦しみは想像を絶するものがあります。中核派全部がそうだとは思いたくありませんが、当該担当者の戦時共産主義的な対応と度量の小さい発想には「サルベージオルグ」という概念がなかったのかということと、この病気へのあまりの無理解に強い怒りを感じます。
私はやっぱり思うんですよ。「できないことは、(今すぐには)やはりできないんだ」と。それでいいじゃないか「できることをやる」のがとても大切だし、また「できることだけやればいい」んじゃないかと。一番いけないのは「できることをやらない」ことなんだと。組織は常に個人に「飛躍」を求め続けますから、その発想パタ� ��ンが固定化された中で、できないことをできないと思い悩んで自分を責めるあまり、できることすらやらなくなる、それが元活動家にありがちなパターンなわけです。そうではなくて、組織を持たない私たちは、その中で「できることだけ」を開き直ってやっていけばいいし、「飛躍」ではなく、いつの間にか「できること」の境界線が広がっている、気がつけば「できないこと」ができるようになっていた、そういうイメージでいいんじゃないでしょうか。
ここで大切なのは「いつの間にか」ということ。無理な「向上心」をもつとまた「飛躍」の発想にはまって苦しくなります。「できること」というのは、実はイコール「やりたいこと」なんですよね。本当にやりたいと思ったら、人間って何でもできてしまうんもんなんで� ��よ。いろんな言い訳をつけて「できない」というのなら、つまりはその「言い訳」部分との天秤にかけて、それらを捨ててまではやりたくないってことでしょ。だったらそれでいいじゃないですか。「できること」をやっているうちに、いろんな荷物を捨てていけることもあるし、逆に捨てたいと思っていた荷物の中に、大切なものがあったと発見することもあります。人生って、なにごとも時期があると思うんですよね。
ジュリアス・シーザーもてんかんだったらしく、なにやら当時は「神に選ばれた印」とみなされ、「王者の病」とか言われてたらしいですよ。そう言われるとなんとなく嫌な気分じゃないですよね(笑)。歴史上の人物で言いますと、他にもナポレオンやジャンヌ・ダルク、ドストエフスキー、アインシュタインなどがてんかんだった(と言われている)そうです。日本じゃ「狐憑き」扱いだったようですが、西洋では若干ロマンチックな意味合いもある病気だったんでしょうか。いっそ病気を楽しんで「俺って王者だから〜」(爆)くらいに自慢してやれと思いましたね。ただし思っただけですよ。本当に自慢した結果については責任をおいかねますけど。私の両親は私がてんかんである� ��とを非常に隠したがっていたというか、隠すべきだと考えていましたので、私もその気持ちを尊重して、自分から積極的に人に言うことはさけていました。
また、うつ病というのも、周囲を見る限りでは「左翼活動家に多い」のは本当ですが、それも献身的な現場活動家に多いように思います。おそらく組織のトップクラスの最高幹部みたいな人はかからないんですよ。うつ病はやはり心がピュアで純粋で優しい真面目な人がかかるんですよね。こういう人は本来は政治にはむかない人なのかもしれません。西欧では、精神病者はむしろより神に近い存在であるという考え方も一部にあったそうですが、これはあながち間違いではないと私は思います。私はうつ病を、醜い現実の中で、それでも神に選ばれしピュアな魂だけがかか� ��「詩人の病」と呼びたいです。そんな自分に自信をもって、自分もさることながら、こんな自分が生きていけない現実のほうをこそ「治療」してやる!くらいの気持ちでいてください。
まあ、わざと明るく書いてみましたが、実際は「病気」って大変なんです。本人も、周りの人も。奇麗事じゃすまされません。私も子供の頃は、毎月のように頭から顔中に電極を貼り付けて脳波測定を受けてました。王者だろうが詩人だろうが、自分の子供にこんな苦労はさせたくないという気持ちは正直あります。治療できるもんならするべきだし、迷惑をかけた人への感謝や申し訳ないという気持ちも、ごく普通にあります。けど、なっちまったもんはしょうがない。誰でも一度くらは病気になることだってあるだろう。下を向いてたってしかたないじゃないですか。こういう経験自体が人生における一つの財産だと思えるんです。
主義者Yさんやアッテンボローさんは、今までたくさんの「種」をまいてこられたと思います。その種は多くの人の心の中で生きています。それは種をまいた人とお二人が会えなくとも、会わなくなっても同じです。その種を発芽させるかどうかは時期の問題もあるし、その人自身が決めることでもあります。アッテンボローさんみたいに組織に属していた場合は組織のフォローの責任もあるでしょう。アッテンボローさんが種をまいて、アッテンボローさんの手の届かない場所にいってしまった人がいるなら、そういう時こそ組織の出番なはずですから。いずれにせよ、種は環境がととのえば自然に発芽するもんなんです。
私たちにできることは、ただ自分らしく生きることだけ。 そして自分自身をだましたり偽って生きないこと。それが意外と難しい。至難の業と言ってもいいです。特に中年期に入るとね。だからそれ以上のことはできない。「組織の必要性」なんてものも、結局はその上にしか存在しない。
人に受任限度を超えた迷惑をかけない、搾取や抑圧をしない、他者の自由や人権を最大限に尊重する、それらを前提とした上で誤解を恐れずにあえて言います。「自分さえよければそれでいいじゃないですか」と。
今後も息長く、「できることだけ」をどんどんやっていきましょう!共に闘わん!
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以上の文章は2日ほど寝かしていたものです。一つは読み返してみても、何が言いたいのかはっきりしない駄文であること、もう一つはこんなことを書くと、かなり人物特定されてしまうということで掲載を迷っていました。が、すでに私は旧戦旗派の皆さんからは「あいつだ」と特定されてるようですし、当然、公安警察の諸君からも特定されていると思われます。つまり、このブログの読者で、リアルの私を� ��っていた可能性のある人ほぼ全員から特定されてるってことです。だったらもういいやつーことで掲載しときます。
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王者と詩人の魂を持つ皆さん。僕らはたまたま神様に選ばれちまったんだ。迷惑だけど(笑)。
少し不便だけど、まあ開き直って自分らしく生きていこう。無理して他人になろうとするこたあない。
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